〜苦難の連続とムエタイ聖地への険しい道〜
今回は、ランバーさんがルンピニースタジアムに出場するまでの道のりについて、調べた情報と本人から直接聞いた話をまとめてみました。
パタヤで育った少年時代とムエタイへの挑戦
ランバーさんはパタヤ生まれで、裕福とは言えない家庭環境の中、幼い頃から家族を支えながらムエタイに取り組んできました。パタヤは観光地として発展している一方で、経済格差が大きく、厳しい環境だったそうです。
体が小さかったのでいじめられていたため、おじさんにムエタイを始めさせられたそうです。
7歳の頃からムエタイを始め、地元の有名なジム「Sit Or(シット・オー)」でトレーニングを積みました。
当初は「ソムデート・シット・オー(Somdet Sit Or)」のリングネームで試合に出場していました。
彼の叔父であるタッパヤー・シット・オー(Tappaya Sit-Or)は、ラジャダムナン・スタジアムやWMCのチャンピオンであり、ランバー選手がムエタイの世界に入るきっかけとなった人物です。
ランバーソムデートムエタイキャンプの隣にジムがあります。
ぴーちゃいもミット持ってもらったことがあります。

タッパヤーさんのジム
そんな中でも彼は地元の小さな大会から挑戦を始め、同じ村の少年チャイ・パタヤとの対戦で初勝利を掴みました。この勝利が自信となり、次の挑戦へとつながっていきます。
苦闘の日々と成長
その後もノーン・スックなど地元の強豪たちと対戦し、厳しい戦いも多かったと言います。
怪我で長期離脱を余儀なくされたこともあり、やめようと思ったこともあるようです。
(気分屋さんですしね)
それでも本人は、自分にはムエタイしかないからと続けたようです。
チョンブリー県大会での転機
大きな転機は、チョンブリーでの試合で強豪ペット・チョンブリーと冷静に戦い、勝利を収めまたことです。
この優勝が有力なプロモーターの目に止まるきっかけとなり、ルンピニー出場への道が開けたのです。
ルンピニースタジアムの重みと狭き門
ムエタイの聖地であるルンピニースタジアムに立つことは、タイ全国の選手にとって非常に難しい夢であり、地方大会で勝ち続けるだけでは叶いません。プロモーターやジムの推薦を受け、さらに厳しい査定試合や選抜を勝ち抜く必要があり、ここで勝つことは地方での何倍もの価値があります。技術や体力だけでなく、精神力や観客を魅了する魅力も求められ、ほんの一握りの選手だけがこの「聖地」のリングに立つことができるのです。
ランバーさんも何度も敗北を経験しながら、諦めずに挑戦を続けたそうです。
ついに夢の舞台へ
数々の困難を乗り越え、ついにランバーさんはルンピニースタジアムのリングに立つことができました。家族や地元の人たちも歓喜し、彼の長い挑戦の歴史に一区切りがつきました。
まとめ
いつもおちゃらけているランバーさんですが、厳しいムエタイの世界で生き、そのままの勢いで日本に乗り込んできたので、数々の日本人を倒せたのだと思います。
ものすごい努力の上、夢のルンピニーリングに立つことができました。
ルンピニーに出場してからはまた今度まとめてみます。
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